新年早々、コンタクトレンズを紛失したために、二日ほどド近視の裸眼で生活して感じたことを前回の投稿で書いたが、今回はその追加。それは顔が見えないことの怖さ。逆に言えば、顔が見えることの安心感についてである。
町を歩いていても、少し離れると誰かわからないのは不安だ。知り合いの人にも知らん顔しているかもしれない。近所の人が、元気に散歩しているのか、家で寝込んでいるのかもわからなくなってしまう。遠くからでも元気な姿を確認しあうのは近所付き合いの基本でもあるだろう。
スーパーマーケットに並んでいる野菜などで、私が作りましたと顔写真付で販売している例も最近増えてきた。作った人の顔が見えることでその食品への安心感は持てる。住まいでも同じで、その住宅を作った大工さんや職人さんの顔がわかっていると安心できる。設計や施工をする立場からも同じで、住む人の顔が見えていると、より一層のやりがいを感じて、仕事に励めるというものだ。姉歯元建築士も自分が構造計算した物件に入居する人の顔が見えていたら、構造計算書の偽造は出来なかったのではないかと思う。